柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

一人の人間の多面性

今日は石立鉄男さんの命日。石立さんというとわかめラーメンのCMを思い出す。後は『トミーとマツ』かな。本当に子どもの頃は再放送も含めて石立さんが出演されるドラマが多かったなあ…。今では『気まぐれ本格派』の中叔父ちゃんをすぐに思い出す。これはDVDで何度も見ているから…。

ファンの目線と一般的に噂されている人物像で浅くしかしらない人達では石立さんに対する見方や思いが違う。一緒に仕事をしていた人達の中でも好意的かそうでないかで印象は変わるんだろうな…。それは、何処でもそうだろうけど…。山口いづみさんや杉田かおるさん、そして石立さんの大ファンの人のブログ等、最近は石立さんに好意的な人の意見ばかりを見てきたから、あまり思い入れのない人達の意見をみてその違いに驚いてしまった。人に対する見方って多種多様だ。

どんな人でも最初は表面に出てくる性格だけでしか判断しないのだろうけれど、相手に好意を持って深く知ってそれに寄り添うようにしていくと、その中を知って愛おしく感じてくる…。その表面を抜けて中を知ろうとする分かれ目は何処にあるのだろう?一人の人間その人間に対していろんな人がいろんな立場で関わってきて、どの立場から相手を見つめるかで同じ人物がまるで別人のように見えたりする。多分、どちらの側面も本当の姿なんだろうけれど、心に寄り添った人が見た姿の方がより真実に近いんじゃないのかな。

通り一遍で表面だけしか人を見ないと残酷で意地の悪い見方をする。それはやはり有名人に多い事なんだけど、やはり世間一般的に深いファンにならない人はそうした目線で見てしまうのは仕方がない事なんだと思う。私だって、特に好きではない人に対しては通り一遍な見方をして、ああ、そう言う人ねと澄ましている。だから、石立さんや吉田友紀さんの事を表層だけ見て、ああ、ああいう人物だったね…と語り合う人の気持ちも分からなくはない。

中には行きすぎて誹謗中傷類の発言もあったりするけれど…。一人の人間に対して好意的に見るか悪意を持ってみるか、また、その立場でも見方は変わるが、人って一面だけでは語りきれない多面性があるんだという事は一人の人物に対してのそれぞれが持つ印象などを読むと良く分かる。好きになると相手を悪く見たくないというフィルターがかかってしまうけれど、その人達は表面しか見なかった人がバッサリ切り捨ててしまった中にある真実を拾い取った人達だと思う。

今度の日曜日に爆笑問題のラジオ『爆笑問題の日曜サンデー』の27人の証言で石立鉄男さんを特集する。石立さんと関わった人がどんな目線で石立さんを見ていたか…それを知りたい。この日は仕事だけど運が良ければ休憩時間に聴けるかな。

今日の朝にツイッターで呟いた(一部訂正)呟きの纏め。