柿の葉日記

主にドラマ『あばれはっちゃく』について語る個人ブログです。

浮草さんのブログを読んで(ドラマを見て分かる設定88)

浮草さんの浮草日記を読んで『あばれはっちゃく』が1979年の7月に第二シリーズの設定作りをし、10月から主役探しが始まったという事を知りました。自分は初代のDVDとアバンタイトルの自己紹介、DVDの付録にあった吉田友紀さんのインタビューを元に当初シリーズ化を目指していなかった『俺はあばれはっちゃく』がいつ頃からシリーズ化を考えるようになってきたのかを過去に考察してきましたが、(その過去記事がこち自己紹介(ドラマを見て分かる設定19) - 柿の葉日記ヒトミちゃんと長太郎 - 柿の葉日記俺はあばれはっちゃく挿入歌 - 柿の葉日記)当たらずとも遠からずだったのかなと浮草さんのブログを読んで思いました。

以前、中学生になったばかりの頃?(ドラマを見て分かる設定75) - 柿の葉日記で考察しましたが、2代目に邦彦役で1年間レギュラー出演した長野昇一さんがゲスト出演した第27話は1979年の7月15日頃に撮影されたものだと考える事が出来るので、この辺りからスタッフは2代目の設定を考え始めていたんだと思います。主役探しは10月から始まっているので、設定は考えていたけれど、まだ、2代目探しの意識はなかった頃だったのかなと思います。長野さんも栗又さんと同じくテスト出演だったと吉田さんはインタビューで答えていますが、2代目の設定を考えている時期でもしかしたら、その時に長太郎に似た性格のヒトミちゃんのいとこのサトル君は2代目を意識しての人物だったんじゃないかと思っていたのかもしれません。長野さんが後に長太郎役ではないにしろ、邦彦役で1年間使われたのは、この時のサトル君役での印象が良かったからではないのかなと思ったりもします。

また、初代は中盤辺りから長太郎が悪くないのに誤解をされたりして責められる展開が多くなってきたなと思ったりした事は以前に私の好きな次回予告 - 柿の葉日記書きましたが、この辺りの展開も第2シリーズへの布石を感じます。私が2代目、3代目と見ていくうちに感じた事は段々と長太郎が常に正しい立場にいながら誤解されてしまうというものです。子どもの頃に見ていて長太郎は悪くないのに…みたいな感情を持って見ていた事を思い出しました。二代目はブタゴリラ - 柿の葉日記でも書いてますが、長太郎の狡さが原作から初代、初代の中盤辺りから、2代目で薄れてきて、逆に正義の面が少しずつ強調されていったように思えます。

反対にライバル役に当たる正彦の立場にくる、邦彦や克彦、輝彦、信彦達の性格が意地悪になっていったなと思うのです。そこには主人公に感情移入しやすいようにする意図があったように思うのです。ライバル役 - 柿の葉日記違和感 - 柿の葉日記

あばれはっちゃく』は2代目以降になると原作から離れて独自の設定が目立ってきます。てるほが兄になったのもそうですし、母ちゃんが仕事を持つのもそうです。長太郎が転校生になるのも、特定のスポーツを習い始めるのも2代目からの設定です。初代も原作と違う設定はありますが、原作を元にしてドラマにするという基本は抑えています。これはやはり全26話一作で終わらせようとしていた初代と初代の途中からシリーズ化を目指したものの違い何だろうなと思います。そうした目線で改めて『俺はあばれはっちゃく』を見てみると、初代は原作と2代目以降を繋ぐ役割を持っていたのだなと感じるのです。

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