柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

忘れる

昨日は「気まぐれ本格派」で袖子さんを演じた三ツ矢歌子さんの誕生日でした。三ツ矢さんは既に他界されていますが、私が「気まぐれ本格派」のDVDを見ていた時に、母が「そういえば、最近、三ツ矢歌子を見ないね」と言い、「え、もう亡くなったじゃない」と言うと「いつ?」と聞いてきました。「俺はあばれはっちゃく」のDVDを見ていた時も、父が東野英心さんが亡くなった事を知らずに、母と同じ事を言っていました。私でも、三ツ矢さんや東野さんが亡くなった事は知っていて、それは殆どの人が既に知っている事だと思っていたので、身近な人間でそれを知らなかった事は驚きでした。

「気まぐれ本格派」「俺はあばれはっちゃく」「すぐやる一家青春記」、それからCSのチャンネルNECOやホームドラマチャンネル、時代劇専門チャンネル等で見る私が子供だった頃に放送されていたドラマには、顔馴染の役者さん達が沢山出ていました。例え名前は知らなくても、顔を知っている役者さんは多かったです。私がこの間、チャンネルNECOで「雑居時代」を見ていた時に、母は「知っている役者ばっかり」と呟いていました。それらの知っている役者さん達は今でも現役で活躍されている方もいますが、既に他界されている方も多くいらっしゃいます。私は亡くなった人の一番元気な姿の時の、この人と言えばこの時代のこの姿という印象が自分の頭の中にあって、その姿と一致している姿をドラマの中で見つけた時はしっくりときます。そのしっくりとくる姿がドラマの中には残されていて、見ていると今でもお元気なのではないか?と錯覚するほどです。しかし、そうではない。

三ツ矢歌子さんも東野英心さんも、石立鉄男さんも、大原麗子さんも、中条静夫さんも、花沢徳衛さんも、夏目雅子さんも、小林桂樹さんも坂上二郎さんも、ハナ肇さんも、谷啓さんも、頭師孝雄さんも、それからここには書ききれませんが、多くの方が既に他界されています。亡くなられた当時、テレビや新聞などでその死を取り上げられて、死んだ事を知った方達も、父や母が知らなかったように、いや、もしかしたらその時知ったとしても、いつしか「死んだ」という事実の事を忘れてしまったのかもしれません。ふと、死んだ事を忘れられてしまう事とは幸せなのかなぁ…と、ぼんやりと思います。死んだ事を知らない、忘れてしまった。その間は、その人の記憶の中では死んだ人は生きているのですから。父や母の中では私が教えるまで、三ツ矢歌子さんも、東野英心さんも最近、テレビドラマで姿を見ないだけで生きていた訳ですから。死んだ事を忘れられる、それは、悲しい事かもしれないけれど、生きていた、存在していた事を忘れられるよりは幸せなのかなぁ…って。

昨日、職場で退職してしまった人の話をしたのですが、私がその人の容姿や名前、こんな事があったね。と話しても、その場にいたその人を知っているはずの職場仲間が誰一人として、その人の事を覚えていないと言われた時に、私は自分が存在しない人の事を話しているのだろうか?と、ふと疑問に駆られました。その人は確かに存在したのに。でも、私も逆のパターンの時だってある。会った人全てを覚えている訳ではない。もしかしたら、私と言う人間も誰かの記憶の中では存在していない人間かもしれない。そう思いました。生きていて存在を忘れ去られるよりは、死んだ事を忘れ去られて今でも生きて存在していると思われている方が幸せなのかなぁ…と思うのです。だって、それだけ、心に残る人になるのですから。

多くの俳優の方達がいます。その中で有名になるのはごく僅か。人の記憶に残る人達は更に少ないかもしれません。そして、思いだしてどうしているのかな?と気になる人はもっと少なくなるかもしれません。ドラマの再放送(今では地上波で私が見ていた昔のドラマの再放送は殆どありませんが)でその姿を見て「懐かしい!」「好きだった。今、どうしているんだろう?」と思われる人は幸せなのだろうと思います。8月。お盆のある月。亡くなられた方が戻ってくる月。(今年は私の父の初盆もあります)なんとなく、元気な姿をドラマの中に見ながら、既に亡くなられた方達の事を思い出して、今月はその人達が戻ってくれる月なんだなぁ…と思った時ふとそんな事を思いました。

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