柿の葉日記

主にドラマ『あばれはっちゃく』について語る個人ブログです。

偶然の一致?

父の遺品の整理をしながら私がまだ生まれていない父の学生時代の写真などを見ながら、伯父や母の説明を聞き、そうだったのかと初めて知る事もあり面白いなと思いながら見ている中で、父の友人の手紙を見つけました。その友人の手紙を読みながら、私が感じた事はこの父の友人って会った事はないけれど、私と似ているなということでした。この人の文の運びや笑いのツボというか、そういうタイミングが私と似ているのです。父の感情や思考に関しても生前から私とは近いものを感じてはいたので、やはり、父の友人の人もそうした近い人が多かったんだろうなと思います。そして、私もまた娘としてその影響を受け継いでいたのだなと思うのです。

ネットでブログを読んでいて時々思うのですが、全く別の場所で生まれ育ち、会った事もない人なのに自分と良く似ているなという人のブログに出会う事があります。そういうのを読みながら強く共感する事もあり、また、そうしたブログに会う事で自分を客観視する事もあります。細かく見れば各々にそれぞれの人生があって、考え方や感じ方も違うのかもしれませんが、根底の部分の発想が同じというか、自分と同じ種を持っているというか、近い物を持っているような気がします。類は友を呼ぶという言葉がありますが、似た感覚、発想、考え方をもつ人間というのは世の中にいるのだと思います。

父もまたそうした世の中の中で父と気が合う、価値観の近い人と友人になって心が通じ合っていたのだと思います。そして、私もまたそうした父に育てられ知らず知らずのうちに父の価値観や発想、考え方、感じ方を受け継いでいて育っていったからこそ、父の友人の父宛ての手紙を見て凄く共感し、会った事もない人に対して自分と似ているなと感じたのだと思うのです。なんで、この人の発想って私と似ているんだろう、偶然の一致かなと最初は思ったりもしたのですが、そう考えると偶然ではなかったのかなと思ったりもします。不思議なものですね。

父が死んでこれからやる事はいっぱいあるのに、それをやりながらもこうしてネットをしている自分を見ながら、随分、いい加減で薄情な人間だなと自分の事を思いながらも、自分を甘やかしてこうしてしまう。多分、後からじわじわと分かっていくのだと思うのですが、多分に私はそういうのに気付かないまま、過ごしていきそうな気がします。妹には「お姉ちゃんは昔は涙もろくて、すぐに泣いていたのに、今ではそうじゃなくなったのね」と言われてしまいましたが、私も父の死が悲しくない訳ではないのです。もう少ししおらしくしてもいいのかなと思ったりもするのですが、明日から再開する仕事の事とか色々なやらなきゃいけない事を考えたりして…、うーんとやっぱり自分の事しか考えてないというか、考えられないというか…やっぱり自分勝手な薄情な人間だと自分で自分の事を思います。

自分の中で人の情の部分というのに、価値を見出せなくなっていったというか、そしたものに重点をおいていて馬鹿にされ続け、裏切られ続けてきた事が、私がそうした物に対してドライになってしまったのかな…と、自分が駄目になったのを人のせいにしては駄目なんですけど、そう思うのです。だけど、最近の職場の人達の温かさや(一部の人を除いて)「俺はあばれはっちゃく」をもう一度見て感じる事は、やはり人として一番大切なのは、やはり人としての情けなのだと改めて思うのです。その割には自分の事しか考えてないというのは、芯の部分で分かってないと思います。こう書く事で否定して欲しいという気持ちもある卑怯者な私。恵まれている癖に悲劇に浸ろうとしている自分に違和感と馬鹿馬鹿しさも感じている。弱い人間だなぁ。もう少し、強くなりたい。