柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

家出

長太郎は父ちゃんと喧嘩をすると家出をする事がよくありました。第15話では参観日の時に母ちゃんに恥をかかせたことが原因で家出をしています。長太郎は独立すると言って最初は公一の所へ行きますが、最終的には佐々木先生の方へ転がり込みます。長太郎は本気で独立するつもりで「新聞配達でもして食費をいれるから」と言い、最初に行った公一の所でも「お前の所で住み込みで働こうと思ったけど、やめた」と言っているので、家出をする時は住む所と働く事を考えている、と言えます。

しかし、そこはまだ小学生でその行動範囲は限られていて、頼るところもやはり限られています。長太郎の真面目な所はただで厄介いなろうと思わない所と、やはり学校へ行こうとする気持ちがあるところ。家出をすれば学校へいかなくてもいいと思うのですが、佐々木先生の所へ転がり込んだという事は、学校へ行くという意思はあったと考える事が出来ます。

長太郎は第51話でも父ちゃんと喧嘩をして佐々木先生の所に転がり込み、この時佐々木先生は家に連絡をいれようとしますが、長太郎に受話器を抱え込まれ「電話線切るぞ!」と抗議されてその場は言う事を聞き、長太郎が寝た後で桜間家に連絡を入れています。

家出と言えば知り合いの人が「孫が自分の所に家出してきた」事を話してくれました。そのお孫さんは小学4年生で親と喧嘩をして家を出てきたそうで、「小学生も高学年になれば親を批判するようになり、喧嘩をして家を出て親に頼らないで独立して生活しようと考え、実行に移すんだね」と知り合いの人が言うのを聞いて、私は長太郎を思い出しました。それでも、長太郎と同じように行動範囲は狭く、家出も1日で終わる。そして、その話を聞いた時「あばれはっちゃく」の話が子供の目線で書かれていたんだなとこの時改めて思ったのです。

お孫さんの家に電話で連絡しようとすると「家に連絡はしないでくれ、むこうがかけてきたら電話にでてやってもいいけど」と答えたので、トイレに行くふりをして携帯メールで連絡をとり、電話をかけてきてもらったそうです。第51話では佐々木先生は長太郎に受話器を抱え込まれて困っていたけど、今ならメールがあるのかと思いました。『俺はあばれはっちゃく』が始まったのは今から32年前の今日。(1979年2月3日放送開始)当時は迅速に連絡を取れる手軽な手段が電話だけだったのに対し、今では随分と楽になったものだと感じました。

私はこの世代の人間なので懐かしさを感じても特別古いと思う事は少ないのですが、今の小学生から見たら、そうした時代の中の小道具の変化や文化も含めて古く感じるかもしれません。でも、そうした文化や時代の変化は多少あれど、人間の感情においてのドラマは今も昔も実は大幅に変わってはいないのかもしれません。今でも長太郎のように親と喧嘩をして家出する子供がいる事を知ると、この時代の子供たちにも「あばれはっちゃく」が受け入れられるような気がします。

個人差はあると思いますが、実際、私が子供の頃に見ていても子供の気持ちという点で違和感を感じた覚えはありませんでした。結構、共感して見ていました。大人が楽しむ為のものではなくてあくまでも見る子供を意識して作っていた作品だったんだと感じたのです。しかし、今度は大人になって父ちゃんや母ちゃん、佐々木先生の気持ちも多少は分かるようになったので、やはり、大人の人達が作っていた要素があったんだなとも思うのです。

子供を前面に押しながらも、大人の気持ちや願いが『俺はあばれはっちゃく』には込められていたのだと思います。今でも『俺はあばれはっちゃく』を楽しめるのは当時の気持ちがよみがえっている事は勿論ですが、大人になった今だからこそ分かる気持ちを感じ取る事が出来るからかもしれません。