柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

寝床で

『俺はあばれはっちゃく』第32話で父ちゃんの後輩の一平さんの娘のマユミちゃんを預かる事になった桜間家。夜になってマユミちゃんは長太郎の部屋で一緒に布団を並べて寝る事になります。

マユミちゃんもまだ5歳だったし、長太郎も変な気を起こす事はないと思ったからこそ(変な気ってなんだ自分、そう考えるお前がいやらしいんだぞ)、父ちゃんも母ちゃんも、てるほも長太郎の部屋で寝かせたのでしょうけど、マユミちゃんは5歳とはいえ女の子。長太郎と寝かせるよりもてるほと寝かせたらいいのにと、「男女七歳にして席を同じうせず」の言葉を思い出してそう思いました。

歳をとってこうしたいやらしい目線で見てしまう自分にちょっとがっかりしてたりします……。ああ、邪な心を持ってしまった。長太郎の部屋で寝たマユミちゃんはおねしょをして長太郎が庇います。おねしょをして泣きじゃくるマユミちゃんを落ち着かせる為に慰める長太郎が優しいです。

「大丈夫だよ、俺がやったことにするから」

長太郎は翌日佐々木先生には真相を話します。

「面倒くさいから俺がやった事にしたんだよ」

そんなことをいいながらも、マユミちゃんを庇った優しさは本当だったと思います。長太郎の部屋で寝たお客さんと言えば第14話で登場した大熊先生もそうでした。あの時の長太郎と大熊先生の2人の布団が並んだ寝床での長太郎と大熊先生の会話はなんだか眠りの中に溶けていく優しい感じがして好きです。

「学校の成績だけで人間を評価しちゃいけない。分かるか?」
「分かんない」
「今はな分からなくていいんだよ」

長太郎の返事に大熊先生に優しく笑いながら答え、布団の中で眠りに入ります。大熊先生から父ちゃんの子供の頃を聞いて、父ちゃんは皆の笑い者にされてしまいましたが、長太郎が父ちゃんを軽蔑することはありませんでした。

「俺の父ちゃんは父ちゃんだ。いくら子供の頃の成績が悪くたっていい父ちゃんだ」

勿論、学校の成績は人をみる一つの物差しにはなると思います。でも、学校の成績と人の人格が同等にみなされて、成績に隠れてしまった人の良さを見失う事があるような気がします。学校の成績も本人の努力によって身に付くものですから、それを認めるのは悪い事ではないのですが、それだけではあまりに勿体ない。

例え綺麗事だとしても私は学校の成績だけでは分からない人の心、優しさや真面目さ、義理堅さ、正直さ、素直さといったものも人を評価するのには大切なものだと思うのです。

学校の成績と言うのは分かりやすい物差しで使いやすいですが、それにばかりに頼って人を見ていては人の本来の良さと言うのは見逃してしまうのかもしれない。長太郎が父ちゃんを「いい父ちゃんだ」と言ったのも、大熊先生が「学校の成績だけで人を評価しちゃいけない」と言ったのも、そうした事を知っていたからだと思うのです。長太郎のマユミちゃんを庇った優しさも学校の成績だけでは分かりません。

佐々木先生は第8話で長太郎の成績が悪くてもお前にはいい所があると言います。長太郎の学校の成績だけでは分からない、優しさ、面倒見の良さ、勇敢さ、実行力、行動力等は通信簿の数字だけでは分かりません。長太郎は自分が勉強が出来ない事は認めながらも、だからと言って自分が駄目な人間だとは思っていません。

彼がそう思えるのは人の価値を勉強だけで見ないで父ちゃんを教えていた大熊先生の影響があるのではないでしょうか?大熊先生に子供の頃に出会えたからこそ、父ちゃんは長太郎が尊敬する大好きな父ちゃんになったような気がします。

そして、長太郎もそんな父ちゃんに育てられ、また佐々木先生という長太郎を認めてくれる先生に出会えたからこそ、あれだけ自分に自信を持った優しい素直な子になったのだと思うのです。長太郎も父ちゃんも、佐々木先生や大熊先生といういい先生に巡り合えたのは幸せだったと思います。昨日から明日に変わる眠りの中で、そんな事を話していた長太郎と大熊先生。

眠る前にした会話が長太郎の頭の中に残って、この時大熊先生が「今は分からなくていいんだよ」と言っていた言葉の意味がいつか長太郎が分かった時に大熊先生との会話を思い出していたらいいなと思いました。