柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

子どもの頃の思い出

 私は生後数日で長野から横浜に引っ越し、4歳の頃まで横浜で過ごした。両親が言うには私の生まれてくる予定日は7月の中旬だったのが8月まで延びてしまい余裕を以って転勤する予定が慌ただしいものになってしまったそうだ。結局、予定が延びたうえに自然分娩では生まれたこなかったので、帝王切開で生まれてきた。

 横浜に住んでいたと言っても4歳までだし(5歳になる前の)幼稚園にも通っていない子供の行動範囲なんてたかが知れていて住んでいた社宅の周辺の事しか覚えていない。社宅から道路に出て行く所に長い階段があって、暑い夏の日に大きなレディーボーデンのアイスを持って上がっていった事を覚えている。私の住んでいた部屋は社宅の最上階の4階でそこまで全力で駆け上がっていった事も、幼稚園に入園する直前にまた親の転勤が決まって、仲の良かった同い年の友人と社宅の敷地内にあるブランコに乗って立ち漕ぎをしながら「わたし、引っ越すんだ」と話していた事も覚えている。なんか、友人が的外れな事を聞いてきて、「違うよ」と言った事は覚えているのだが、どんな質問をされたかは覚えていない。

 数年前、その住んでいた社宅の近くに訪れた機会があったので、足を延ばして寄ってみた。20数年経っていたが、変わらず社宅はそこにあった。あの、アイスをもって上った階段もそこにあった。ただ、記憶と違うのはえらく短く低い階段だった事。高層ビルのように高いと思っていた社宅もそれほどでもなかった事。あまり、変わっていないはずなのに記憶の中の社宅とは随分違っていて、全てが小さく見えた事だった。

 子どもの頃に知っていた人もいない。一緒にブランコに乗った友人も別の土地に引っ越していった。そこには私の全く知らない人たちが私が住んでいた部屋で私のことなんか知る事もなく生活をしていた。そこは、かつて私が生活していた私の場所だったが、今では全く違っていた。あまりに記憶と違うその場所に懐かしさはなかった。ここに限らず、数年単位で親の転勤で引っ越しを繰り返していた私は、ある日、ふと近くに寄って懐かしさからかつて住んでいた場所を訪れても、懐かしさよりも戸惑いを感じる事の方が多い。

 人も街も変わっていく。思い出もあやふやになっていく。そんな中で寂しさはあまり感じないが、時々自分の思い出が確かであった事を確認したくなる時がある。