柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

人の縁

 人の縁は大事にしないと切れる。恥ずかしいとか面倒くさいとか、この位大丈夫だと縁をないがしろにしていると、やがて切れてなくなってしまう。

 私事だが、私は親の仕事の都合で転校が多かった。転校してからも友人と手紙のやり取りはしていたが、やがてそれもいつしかなくなり、年賀状だけになり、いつしか消えていった。この年まで縁が続いている学生時代の友人は今では殆どいない。本当は友人と積極的に関わって繋がりを持ちたいと思う。

 だが、私はどうしてもしがみついてしまう人間で相手を束縛してしまう傾向があるので、本当は相手にかまって欲しい、かまいたいのにその気持ちを抑えて反対の行動をしてしまう。

 人の縁を大事にする事、相手の事を考える事、人と人の繋がりを大事にする事、これは経験から考えて大変な事だと思う。

『俺はあばれはっちゃく』を見ていると、友人を大事する大切を分からせてくれる。特に第26話(脚本・安藤豊弘、監督・山際永三)と第34話(脚本・田口成光、監督・山際永三)
第26話では、公一と長太郎が喧嘩をしてしまう。父ちゃんは長太郎に謝ってこいと言うが、長太郎は最初は拒否する。

「いいじゃないか、友達なんだから」
「友達だから早い方がいいんだよ」

 その後、長太郎はてるほの手をつねり、てるほが持ってきた皿を割ってしまう。それを見て父ちゃんは、その皿を戻してみろと言うが皿は元には戻らない。この時、父ちゃんは長太郎に言うのだ。

「長太郎、友達というのはな、これと同じなんだ。そうならない内に、おめぇが謝りに言った方がいいんでぃ」

 長太郎はそれを聞いて公一に謝りに行くが、公一は許してくれない。だが、最終的二人は色々あって仲直りする。(この色々の部分は是非DVDを買って見て欲しい)

 第34話では、冒頭で正彦が作った飛行機をドンペイが壊してしまって、皆が長太郎に正彦に謝るように周りが言うが長太郎は適当に謝り、正彦の言葉を借りてそれを正当化するが、佐々木先生に諭される。

「(正彦が)もういいっていってるじゃん」
「正彦はお前の友達じゃないのか?皆もよく聞きなさい。いいか、友達と言うのはそうは簡単に出来るもんじゃないんだ」

 本当にそう思う。友達というのはそう簡単に出来るものではない。だが、壊れるのは作るより簡単に出来てしまう。壊れる前に失くす前にその大切さに気付いて、手遅れになる前になんとかする。

 この話は上の正彦と長太郎の関係と並行して、父ちゃんの中学時代の親友である田中さんとの友情関係もかかれている。父ちゃんは田中さんに裏切られてしまう。田中さんは家宝である壺を正彦の父親に売るが、それが既に壊れていたもので、父ちゃんは正彦親子から詐欺師扱いをされてしまう。田中さんも結果的に父ちゃんを裏切った事を後悔し後ろめたく感じて逃げてしまうが、最後には父ちゃんに謝罪しお金を返しに来る。

 そして、壊れた壺だが本物であるという事で田中さんは父ちゃんにその壺を贈る。父ちゃんは嬉しそうに田中さんの手を取って言う。

「おい、見てみろ。ちゃんと元通りになったろ。俺とお前の仲みたいに」

 友情の大切さはその時すぐに分からない事でも後になって気づく事もある。後になって気づいても遅い事もあるが、まだ遅くない時はそれをすぐに取り戻さないと、父ちゃんと田中さんのように修復出来ないかもしれない。

ドラマの例は一例であって、全てに当てはまるものでもないが、こうした気持ちは大切だと思う。

『俺はあばれはっちゃく』は教育番組ではないが、今見るとこうして大事な事を伝えてくれる作品だった。私ももう少しそれに早く気付くべきだった。今からでも、人の縁を大事に出来るようになりたいと思う。