柿の葉日記

主にドラマ『あばれはっちゃく』について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

父ちゃんの子どもの頃

「俺はあばれはっちゃく」の話の中で父ちゃんの子供の頃の話が出ると当時はそれがとても想像できなかった。これは、ドラマだけに限らず、現実で自分の両親の子供の頃を聞いても同じだった。彼らは既に大人だったし、私の生まれる遥か以前の世界は例え両親にとっては現実でついこの間の時代でも、歴史の教科書で学ぶ過去の出来事と同じように身近な事と感じる事ができなかったのだ。

勿論、いきなり大人としてこの世に誕生するものではないし、大人になるまでの歴史がそこにあると頭では分かっていても、子供の頃はそれを肌で実感できなかったのだ。だが、今、私は一応大人になった。私が幼稚園児、小学生当時の両親と同じくらいの年齢になった。私は自分の子供時代を知っている。それが、もう30年も前の話になっている。ついこの間のように感じる。しかし、もう遠い過去だ。それ程、時代も変わってないと感じる一方で、こうしてネットでブログを書いたり、携帯電話を気軽に使ったりなど30年前には考えもしなかった。多分、今の子供達に私の子供時代を話しても、私が両親の子供時代を聞いたのと同じように感じるのかもしれない。

父ちゃんの子供時代は、小学生時代の恩師である大熊先生や(第14話)、中学の時の親友の田中さんや(第34話)初恋の人のちよさん(第41話)の登場で垣間見る事が出来るが、やはりそれは煙みたいなもので実態を感じない。しかし、私は長太郎(吉田友紀さん)の子供時代を知っている。それが、例え架空のドラマの一部でも。

ネットなどの掲示板やブログなどを見ていると「あばれはっちゃく」のファンの人達の中には、もし、シリーズが復活したら吉田さんに父ちゃん役をやって欲しいと思っている人がいるようだ。もしそれが実現して父親役の吉田さんが子供に自分の子供時代を語る場面を見たら、その子供時代をよく知る一人として、「ああ、長太郎が自分を美化してる」とか「子供が知る事がないと思って適当な事を言ってるな」と思ってそこに長太郎の時代を重ねてみてしまうかもしれない。

親世代の想像できない子供時代よりも、自分が経験し見てきた子供時代の方が現実感がある。だから、ドラマでそうした場面が出てくれば子供時代に実感できなかった父ちゃんの子供時代より、深く感じる事が出来て面白く感じる事が出来るかもしれない。吉田さんに限らず、自分が見てきた四代目までならきっとそう思うだろう。しかし、私はシリーズの再放送やDVD化、CSでの放送は強く望むが、シリーズの復活は望まない。「あばれはっちゃく」は私の世代の作品としてこの世に語り継がれてほしい。これは私だけの意見に過ぎないが、私の世代の大切な作品を大切なまま、そっとしておいて欲しいと思う。

既に大人と呼ばれる年齢になった長太郎役やそれ以外のクラスメイト役の人達を見る度に、あの人達の子供時代の一部を私達視聴者は見てきて知っているのだなと、それだけの年月が既に経ってしまったのだなと、しみじみ思うのだ。ああ、あのもう忘れたことも多いけど確かにあったあの時代があるからこそ、今の自分がいるのだと。