柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

恐怖

折り紙は「折る」という単純な作業の繰り返しだ。だから、偶然折り方の工程が同じになってしまうことだってあるだろう。試行錯誤の上に生み出した技法が既に他の人によって生み出されていたものというのだってあると思う。考えてみれば、長い年月のかかった遊びなのだから、その可能性がないのがおかしい。

しかしそうとは知らず、また、自分が体得した手法を知らずにオリジナル創作の中に入れてしまっていることに対して、重箱の隅をつつくようにパクリだの盗作だの鬼の首をとったように正義感を振りかざして、声高に叫ぶ人たちがいる。折り紙ではないが、二次創作小説をかいていた人がその人本人が生み出した小説であったにも関わらず、わずかな類似をつつかれパクリだと糾弾されて、疲れ果てたという経緯を知っているとそういった偶然やたまたま被る可能性を知らない人たちが怖い。

すべての有名無名に関係なく創作をしている人の作品を知ることは不可能ではないか。例えば、有名作家と無名作家がそれぞれ知らない場所で同時期に同じに見える作品を生み出していたら、ネットをやっているものとやってないものが双方知らず似ている作品を生み出していたら、作っている途中で知らずのうちに過去に知っている作品と類似していることに気づかず作品を作成していたら・・・。創作している者はパクリをしていないことは、自分の心に誓って決してないと堂々としていても、第三者の目にはパクリだと感じてしまわないだろうか?

単純な作業から生み出されていくのだから、重なって当たり前と考えてくれる人はいるのだろうか。そう思っていてもグレーな気分の人はいないか。人が苦労して生み出したものを自分が生み出したと偽って賞賛を受けるのは勿論、論外で非難もいたしかたないが、中には冤罪というのもあると思う。安易に決め付けるのは問題だ。あなたが先に知ったものが必ずしも後に知ったものより先に生み出されているものではないのだし、たまたま被る可能性だってあるのだから。